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サッカー日本代表の香川真司~マンUまでの軌跡・経歴

香川真司マンU


サッカー日本代表のエースナンバー10を背負い、超ビッグクラブ、名門マンチェスター・ユナイデッドの選手である香川真司の華麗なる軌跡・経歴・成績を詳しくまとめてみました。

※スマホの方はPCビューの方が見やすいです


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香川真司のプロフィール


1989年3月17日生まれの24歳、プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドFC所属。
現日本代表の10番を背負う。日本代表通算、46試合出場14得点を記録。



香川真司の経歴


■2001年(12才)
地元の神戸を離れ、サッカー留学のため仙台へ渡りFCみやぎバルセロナのジュニアユースへ入団。

中学2年になるとユース年代に交じって練習していた。この時期、ナショナルトレセンやU-15日本代表にも選手される。




■2005年(16才)
香川は当時高校2年生ならがらU-18東北代表に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会 (U-18) に出場。

この大会ではU-18日本代表を5-2で破るなど、攻撃センスを存分に発揮しMIPの1人に選ばれた。

U-18日本代表のDFラインには内田篤人、吉田麻也、槙野智章、安田理大というまさにタレント揃いにも関わらず、ドリブルと精度の高いパスで何度もU─ 18日本代表守備陣をズダズダに切り裂き、3アシストという結果を残した。

「この試合が楽しみで楽しみで、早く試合をしたくて仕方がありませんでした。ここで活躍すれば、僕にも代表に入れるチャンスがあると思っていましたから」香川真司

サッカーキング

年代別の日本代表のユニフォームを手にしたのは、そのわずか4カ月後のことだった。


史上初の下部組織以外での高校生Jリーガーとなる。

「センスを感じた。教えられない持ち方、ボールの受け方、さばき方、ヘッドアップする姿勢。小さくて華奢な子ですが、ボールを取られない。何よりサッカーが好きな子だった。彼を欲しいと思った時、もし1年待ったら全チームがオファーして来るだろうと思った。徐々に全国に知れ渡ってきてやばいなと思うようになりましたし。今なら獲得できる確率は高いということで、思い切ってオファーを出したんです」セレッソ大阪のスカウト

サッカーキング

2005年12月18日に地元に近いセレッソ大阪と仮契約を交わすことなったのだ。




■2006年(17才) 成績:出場機会なし
セレッソ大阪に入団。同期入団はセレッソ大阪U-18からトップ昇格した柿谷曜一朗。2006年は出場機会はなかった。

今は一番下だと思うけど、何年か先にはレギュラーを取って、もっと上のステージに行く意思は常に持っている」香川真司

サッカーキング




■2007年(18才) 成績:リーグ戦35試合5得点
シーズン中盤から、レヴィー・クルピによって見出されてレギュラーを獲得。リーグ戦35試合の出場で5得点を記録した。

また、カナダで開催されたU-20ワールドカップにも飛び級で選出され、2試合に出場した。




■2008年(19才) 成績:リーグ戦35試合16得点
開幕からセレッソ大阪の主力として活躍。

U-19代表の他、U-23の北京五輪日本代表にも飛び級で選出され北京オリンピックに出場し、フル代表である日本代表にも選ばれ、初得点も記録するなど大きく飛躍した年になった。

また、横浜F・マリノスから移籍してきた乾貴士と非常に息の合ったプレーを披露した。

「面白いと思ったのはテクニックばかりじゃない。アイツ、全然物怖じしないんだ。目上の選手に対しても抜かれたらジャージーを引っ張ってでも止めようとする。遠慮もしないし、凄い負けず嫌い。だから次のキリンカップにも呼ぼうと思ったし、チャンスがあったら使いたいと考えていた」元日本代表の岡田監督

number



■2009年(20才)成績:リーグ戦44試合27得点(得点王&MVP)
香川セレッソ
[写真]=J'sGoal

ミスターセレッソ森島寛晃がかつて着用したエースナンバー「8」へ変更。

「絶対にチームをJ1に昇格させないといけない。自分がやらないといけないし、チームを引っ張っていかないといけない。覚悟が決まりました。クルピ監督からは守備よりも攻撃を任されているし、ゴールに近いポジションにいる以上、自分が取らないと話にならない」香川真司



と、その言葉通りゴールを量産し、第15節水戸戦ではプロ入り初のハットトリックを達成する。

その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ね、リーグ戦27得点12アシストを記録し、弱冠20歳にしてJ2得点王&MVPに輝きチームのJ1昇格の大きな原動力となった。

また、ゴールデンコンビとなった乾貴士と競い合うかのように、バリエーション豊富なゴールを重ねていった。

当時20歳のゴールデンコンビは、2人で47得点という記録を残した。

乾貴士とのコンビプレーはこちらで見れます


それでも満足することなく、遥か高みを目指していた香川真司。

「常に上のレベルを意識して試合をしていたから、満足のいく試合なんてほぼなかった。J2のレベルでこんなに運動量が少なくて、果たして上のレベルで戦えるのだろうかと思いながらも、その環境に甘えている自分もいて……。点を取っていたから、『点を取ったからいいだろう』という気持ちもあったのも事実で、でもそれではもっと上を見た時に、もっともっと自分を追い込んでいかないとダメだなと毎試合思っていた」香川真司






■2010年(21才) 成績:リーグ戦11試合7点
自身初のJ1でのプレーとなった2010年は2ヶ月半ながら11試合7得点を記録。





■2010年-2011年(21才-22才) 成績:リーグ戦18試合8点
香川真司ドルトムント

2010年7月1日、ドイツブンデスリーガのボルシア・ドルトムントに完全移籍。

ドルトムントでは控えに回るものと見られていた。

ところが、プレシーズン中に目覚ましい活躍を披露すると、見事にレギュラーの座を射止めて開幕を迎えたことになった。

「最初の練習からブンデスだったら絶対に通用すると思った」 香川真司


と強気な発言を残す香川真司。

強気な発言集はこちら。サッカー日本代表の香川真司は本田以上にビッグマウス!?おもしろいくら強気な発言を連発していた


第3節VfLヴォルフスブルク戦では、ブンデスリーガ初得点を記録し、第4節ではシャルケ04とのルールダービーにて、「僕が2点取って2-0で勝つ」との公約通りに2得点を挙げ移籍早々に実力の片鱗を見せ付けることになる。


UEFAヨーロッパリーグにおいては、チームは決勝トーナメント進出を逃すも香川自身は8試合で4得点を記録した。

「彼が非常に優れたサッカー選手であることはわかっていたが、これほど早く順応するとは思わなかった」クロップ監督(ドルトムント)



「真司が素晴らしいポテンシャルを秘めていることは、すぐにわかった。ただ、得点も期待できると思っていたが、これほど早く実現するとはね。」ドルトムントのスポーツ・ディレクター、ミヒャエル・ツォルク氏


uefa.com


香川自身はリーグ前半期17試合で8得点を記録し(MF登録選手の中ではリーグ1位)、ブンデスリーガ公式サイトが選ぶ前半戦のMVPに選出。

2011年1月には国際サッカー連盟(FIFA)が発表した「2011年期待の若手13人」の1人に選ばれた。

しかし、2011年1月のアジアカップでの負傷により、ドルトムントの9シーズンぶりのリーグ優勝の瞬間をピッチで迎えることはできなかった。

それでもシーズン終了後にはキッカー誌が選定したブンデスリーガの年間ベストイレブンに名を連ねた。




■2011年-2012年(22才-23才) 成績:リーグ戦31試合13点
第6節のハノーファー戦でリーグ戦でシーズン初のゴールを決めたが、昨年までチームの要でパサーであったヌリ・サヒンがレアルへ移籍。

さらにチームのストライカーでボールをよく収めていたルーカス・バリオスがケガで欠場していたのもあり、香川自身はなかなか調子が上がらなかった。

2試合連続で出場機会を失うこともあったが、しだいにに調子を取り戻し、第12節ヴォルフスブルク戦では、1ゴール2アシストの活躍を見せた。

年が明けた1月は2試合で2ゴール1アシストを記録。この活躍によりキッカー誌の欧州月間ベストイレブンに選ばれた。

その後も好調を維持し、ESM(欧州スポーツ雑誌協会)による2月、3月、4月との欧州月間ベストイレブンに選出されるなど、ブンデスリーガ2連覇に大きく貢献した。

このシーズン香川はビルト誌が選ぶブンデスリーガのベストイレブンに選出され、さらに欧州主要15メディア加盟のESMが選ぶ年間ベストイレブンにも選出された。

香川真司ドルトムント2


「シンジはトップ下としてヨーロッパ・ナンバーワンのプレーヤーだと思う。見ていて何度も腰を上げちゃうほどエキサイティングなプレーを連発しているよね」ドイツ代表マリオ・ゲッツェ

「シンジはワールドクラスの選手だ。ボールをキープする際のスピードとテクニックには悪魔的な怖さを感じるよ。味方でよかった」ドイツ代表マッツ・フンメルス



2012年6月5日、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドFCへ4年契約で完全移籍の合意が両クラブから発表された。

「彼が去った時には、大粒の涙が流れたよ。彼は優れたプレーヤーなんだ。しかし、こういうビジネスでの別れに慣れていく必要があるね。彼にとっても、我々にとっても続いていくことなんだ」クロップ監督

「(移籍なんて)ダメダメ! シンジは他のチームに行っちゃダメだよ。でも正直なところ、彼がどういう決断を下すのか僕にはわからないし、とにかく良い知らせを待つだけだ。もちろん、シンジが契約を延長してくれたら僕もうれしいんだけどね……。今のドルトムントなら僕もシンジも、もっと高いところを目指せるはずなんだ」ドイツ代表マリオ・ゲッツェ

「シンジの移籍は悲しいよ。(ドルトムントにとって香川の移籍の意味は)素晴らしい選手を失うということだ。でも、誰もがいつかはプレミアでプレーしたいと思うもの。もし、真司にそのチャンスがあるなら、つかまなくてはならない」ドイツ代表グロスクロイツ(ドイツ誌『キッカー』より)






■2012年-2013年(23才-24才)成績:リーグ戦20試合6点
開幕スタメンでプレミアリーグデビューを果たすと、続く第2戦ではリーグ戦初得点を記録するも、サイド攻撃を主体するチームの戦術になかなかフィットせず、10月にはケガをし、2ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされる。

2013年2月13日CL決勝トーナメント1回戦レアル・マドリード戦ではスタメンで出場しアウェーゴールに貢献など徐々にチームフィットする。

3月2日のノリッジ・シティFC戦ではアジア人初の快挙となるプレミアリーグでのハットトリックを達成。チームは2シーズンぶり20回目のリーグ優勝し、ドイツ・ドルトムント時代から合わせて3シーズン連続でリーグ優勝となった。

香川真司マンU3
[写真]=sportiva

「シンジは今シーズンが1年目ということを考えれば、かなりよくやったと思う。もし僕が彼の成長の役に立てるなら、いつでも力になるよ」ギグス

「本当に来てくれてありがとう。君は来シーズン絶対良くなる、確信している」ファーガソン






主なタイトル


AFCアジアカップ:2011年
ブンデスリーガ:2010-11, 2011-12
DFBポカール:2011-12
プレミアリーグ:2012-13


■個人タイトル
J2得点王:2009年
AFC年間アジア国際最優秀選手賞:2012年



■その他
ブンデスリーガ年間ベストイレブン(キッカー誌選):2010-11, 2011-12
ブンデスリーガ年間ベストイレブン(ビルト紙選):2011-12
ESM欧州年間ベストイレブン:2011-12
最優秀若手選手 (イギリス『スポーツ・マガジン』):2010-11





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